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吞みたい気分でツキイチエッセイ
「ことばと場と師走の巻」
12月ですね、12月ですよ。わりと毎月驚いているのですが、11月30日の夜は本当に心の底から驚きました。明日12月なの !?ちょっと待って~ ! と。
ということでツキイチのはずのこのエッセイもちっともツキイチになっておらず、つまり冒頭の一文は言い訳として受け取ってくださって構いません。いえ、ちゃんと反省しています。更新を待っていてくださる方がおられるとはよもや思ってはいませんが、これは自分で決めたことなので、このページを継続する限り書いていくつもりでいます。お付き合いくださると嬉しいです。
さてさて、その11月の終わり29日に「オトナのための朗読ライブ」を開催しました。そのとき、想像以上の熱い反響を頂戴して「朗読に新しい波がきている」と肌で感じました。9月から11月にかけて放送されたドラマの影響も大きいと思います。
「朗読」とは、声に出して読むということです。もちろん「音読」とは明確に区別されますが、そうした区別に頓着しない方に向かって「朗読が好き」「朗読が趣味」といった話をするとき、かつてはどこか身をこごめてしまうところがありました。あからさまに気のない「ふうん」が返ってくる空気を感じるからです。
意識して朗読の勉強を始める少し前、ギターの弾き語りのレッスンも始めました。その頃「朗読とギター」について話すと、相手は高確率で「ギター」にのみ食いついてきました。もしかすると、よほどわたし自身がギターからはかけ離れたイメージだった、ということなのかもしれせん。楽器を操って演奏できる技術を持つことへの憧れが多くの人の心にあることも理解できます。でも、それにしても、と思いました。それにしても「朗読」へのスルー感、激し過ぎないか ?と。
そういった、言わば不当に低く見られてしまいがちだった朗読の地位が勢いをつけて上がっていく気配を感じるようになりました。それは朗読を楽しむ方が増え、さらにまたそうした方々が貪欲に努力を重ねて力をつけ、発表の場を設けて素晴らしい朗読を披露してくださる機会も増えたことによるものだと感じています。
前述の「朗読ライブ」の際は、会場にいる人全員が一体となる感覚を味わわせていただくことができました。それは、お集まりくださった方々それぞれが「朗読」に対して高い関心と強い興味をもっていてくださったおかげ。それは前述のようにドラマのせいでもあるでしょうが、そもそも「朗読」をテーマとしたドラマが生まれたこと自体が「新しい波」だと感じます。
朗読は、読む人と聴く人を分けません。両者あってこそ、そこに存在する「ことば」が色をなし形をなし、生きることの意味を問うものであると思います。朗読は底知れぬほど深く愉しくいとおしいもの。ご一緒にいとおしみませんか。
2017/12/9