ツキ吞み⑰「伝えること伝わること、伝えたいと願うことの巻」

 

吞みたい気分でツキイチエッセイ

 「伝えること伝わること、伝えたいと願うことの巻」

 

我が子の卒業式を迎え、僭越ながら壇上より祝辞を贈らせていただいたところ、先生方をはじめ保護者の方から「聞きやすかった」「伝わった」という評価を頂戴することができました。

 

わたしはこれまでもずっと「伝わる」ということを大切に考えながら朗読をしてきたつもりでした。でも、それがどういうことなのか、頭ではわかっているつもりでも、自分の朗読がそうであるという自信につながる経験をすることはやはり稀です。

 

「間」や「強弱」、「緩急」に「ニュアンス」。

 

そういったことを意識すればするほど、技術として先に頭に浮かび、言葉に命が宿りにくくなるからです。

 

それが今回祝辞を贈るという場において、一字一句に思いを込めると同時に、わたしを見つめる卒業生の皆さんのまなざしを見ながらおはなししていたら、意識せずに生まれた「かすかな間」や「わずかな強弱」から、メッセージに命が吹き込まれたようでした。一字一句がしっかりと聞き取れるだけでなく、引用部分の区別がついたり、一番伝えたいひとことがきちんと立ち上がってくるように感じられたからです。

 

一昨年(昨年度)のことです。

 

前年度のPTA会長には、他校の前で発表するという役目がありました。前会長は原稿を大切にして、何度も何度も読みこんでおられました。わたしが朗読を勉強しているというと、「聞いてみて」とおっしゃって、わたしに向けて読まれましたが、もともと声も大きく堂々と話される方だったのでそれで十分と思い、なんらご指導などしたわけではありません。

 

前会長は読むたびに本当にお上手になっていきました。ただまっすぐに読まれているだけなのですが、気持ちが届く気がしました。原稿(学校)への熱意と愛情とを持って日々読み込んでおられたようで、発表当日には、20分近くある原稿のほとんどを暗記しておられました。

 

すると発表の際、講評でもアンケートからも、この「読み」こそが評価を得ることになりました。思い返せばこの時もわたしは「伝わるとはこういうことか」と感じたものです。

 

「(文字は忘れて)言葉の奥の心を伝える」朗読ができたら、聴き手に届きます。

 

伝えたい心、伝わるという信頼、伝えたいと願う深い想い。それこそが朗読の肝だということが、今回の体験によってより強く植え付けられました。

 

会長も悪くないものです(笑)

 

 

 

 

2018/3/5