本談義「なぜ君は絶望と闘えたのか 本村洋の3300日」

 (ミニ)ビブリオバトルに倣いテーマを決めて「しゃべれば3分」の分量と重量で紹介する「本談義」

  本日のテーマは、" 絶望に耐えて生き抜く力 "です。

 

『なぜ君は絶望と闘えたのか 本村洋の3300日』

門田隆将 / 著

新潮文庫

 

 1999年4月、山口県光市で23歳の主婦と生後11か月の乳児が惨殺される事件が起きました。やがて加害者として逮捕されたのは、18歳になったばかりの少年でした。最愛の妻と一人娘を奪われた23歳の青年・本村さんはこのあと、絶望に打ちひしがれながらも周囲の支えを得て諦めることなく少年法の壁に立ち向かい、それは後の司法改正につながっていきます。

 

「僕は……、僕は、絶対に殺します」

(中略)

 本来なら、殺人など考えるべきではない、君は何を言ってるんだ――そう叱るのが、大人である。しかし、私はこの若者の迫力に圧倒され、そう諭すことが憚られた。不思議な感覚だった。

 なんの飾りも、曇りもないその叫びは、日本の司法の"常識"を当たり前と捉えていた私の心を揺さぶった。

 そしてその説得力は、のちに日本全国の人々を共感させ、最後には、山のように動かなかった司法の世界そのものを突き動かすことになる。

 

 2008年4月に死刑が確定するまでの9年の間に何度もメディアに取り上げられたこの事件。上記プロローグの部分で表されているように、わたしもまた、たぎる思いを静かに語る本村さんの姿に強く心を揺さぶられたひとりとして、また、少年犯罪を見過ごすことができない親としてもこの事件は特に気にかかり、関連本を読んだり新聞記事の切り抜きを集めたりもしました。今もときどき読み返します。

 

 

 門田氏は、この事件にかかわる人々の心情を丁寧に掬い取りながら書き進めていきます。本村さんの出生や病歴、被害者となった奥様の出生、二人の出会い、遠距離交際を経てやっと始まった生活といった彼らの人生が語られることで、事件の理不尽さと犯行の残虐さがより強く感じとれます。メディアからは計り知れなかった、何度も自殺をはかろうとしたほどの本村さんの苦悩と、彼を支え続けた周囲の方々の強い覚悟が手に取るように伝わり、読む手が止まらず夢中になって読み進めた忘れられない一冊となりました。

 

 門田氏は、死刑判決の出た翌日と、2年後の2010年には2回に渡って、加害者である元少年(F)にも会います。

 

 面会を繰り返すたびに、Fが口にする言葉は重みを増していく。

(中略)

 彼の言葉には私をぐっと立ち止まらせる力がある。

 

 上告と差し戻しが繰り返された裁判の後半、突拍子もない理由づけをし無罪を主張しはじめたことによって反省を口にした発言の信ぴょう性が問われ断罪されることになった元少年・Fですが、判決後門田氏に対しては素直に反省と悔悟の言葉を口にします。死刑判決を受けて初めて「命」について考えられるようになったと語るFの様子に、本村さんが問い続けた「命の重み」への答えのひとつがあらわれていると信じることができました。

 

人は、絶望に陥った時、自分一人の力でそこから這い出すことは難しい。どうにもならぬほど大きな絶望の前では、人間など無力だからだ。

 

――さて、今回この本を選んだのはこの「どうにもならぬほど大きな絶望」という観点からでした。ネガティブ・ケイパビリティを意識した時に思い出したのがこの『なぜ君は絶望と闘えたのか』、そして前回紹介の『文庫X』だったのです。

 

 

 ネガティブ・ケイパビリティとは、「すぐには答えの出ない、どうにも対処しようのない事態に耐える能力」のことを言うそうです。2017年にも一度新聞紙上に出ましたが、新型コロナウィルスに追い込まれ日常が損なわれる気分になりがちな昨今、ふたたび「ネガティブ・ケイパビリティ」をおすすめする、という内容で紹介されていました。ネット上からすぐに情報が得られ「わからないこと」や「結果の出ないこと」に耐えられない人が増えているということにおいて「デマの流布」に警笛を鳴らす内容でした。

 

「短気をおこさず絶望に身を任せず、正解はないとわりきってただ生き抜く」

 わたしたちが今問われているのは、こうした力なのではないでしょうか。

 

 

 話題になったこちらの本も発売当初入手して読みました。が、内容を全く思い出せませんしはっきりいっておすすめもできません。唯一感じたことは、例の弁護団同様この著者もまた、Fを更生とは逆の道へいざなってしまうだろうということでした。

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